Hidekura Tamoninの英語体験ドキュメンタリーシリーズ


『波乱万丈の留学体験記』前編

〜米国留学開始 から1年3ヶ月での修士号取得までの物語〜

[プロローグ]

 これは、私がまだ独身の頃、 つたない英語力で何とか米国留学を実現させ、 大学院での修士号取得にいたるまでの波乱万丈の実際の留学体験を物語風に 綴ったものである。英語の勉強をされている方や、これから留学を予定されている方の参考にして頂ければ幸いである。

 

[第1章]

 海外留学を決意したのは、今から約10年程前のことであった。これまで 仕事で短期の海外出張経験はあったものの、長期の海外滞在は初めてであり、なかなか留学に踏み切れなかったが、ついに決意した。決意はしたが海外留 学は私にとって未知のことであり、留学準備に追われる日々が続いた。

 TOEFLやGREの受験から大学の選定や申込み手続き等々全て初めての体験であり、仕事についている私にとっては大変ではあったが、留学実現という目標に向かって、希望と不安に満ちた日々であった。

 そして、いくつか許可が下りた大学の中で、業務直結のコンピュータ関連大学院をもつ大学で、かつ、私自身の好みから米国カリフォルニア州の某大学の大学院に留学先が決定し、いよいよ渡米の日が近づいてきた。

 しかし、これまでの苦労はイントロであり、これからが本当の試練の始まりであることには、私自身全く想像もつかなかった。

 

[第2章]

 幾多の手続きも完了し、いよいよ渡米の日がやってきた。

 大学の寮の入寮開始数日前に現地のホテルに到着し、大学の事務所に事前に申込んであった寮の確認に行ったが、ここでまず最初の試練が発生した。

 日本で事前に一人部屋を申し込んであったにも拘わらず、いざ大学の事務所に行ってみると勝手に二人部屋に変えられていた。アメリカに着いて早々のトラブルであり、拙い英語で文句を色々言ったが、結局一人部屋の空きが 無く、空き部屋が出来次第変えてもらえるということで、やむなく承諾せざるをえなかった。(しかし、その後自分でアパートをさがして退寮するまで、ずっと二人部屋のままであったが。)

 また、銀行の口座を開くことがまず先決であることを、ものの本で学んで いたので、大学の近くの銀行を事務所で教えてもらい、早速手続きに行った。すぐ近くのようなことを言っていたが、初めてのところで良く道も分からず、とことことかなり歩いてやっと銀行が見つかった。

 ホテルから大学まではタクシーで来たが、ここからホテルまではバスがあるということで、銀行の人に聞いて、話半分にしか良く分からなかったが、停留所で目的の路線バスを見つけだし、何とか無事ホテルにたどり着いた。

 そして、数日後に大学の新学期(オリエンテーション)がはじまったが、大学院の受講科目登録の際にも次の試練が待ち構えていたのであった。

 

[第3章]

 いよいよ米国での留学生活がはじまった。大学の寮にも入り、この年にもなって再び世界各国から集まった若い連中との共同生活が開始となり、 私の場合、大学院で言語教育専攻の学生と同室であった。彼は南米出身で先生をやっていたらしく、今回更に大学院でキャリアアップをはかるようであった。彼の年齢は、私よりも少し若いくらいであったあろうか。さすがに自国でも英語をしゃべっているということで、私とは違い言語の問題は全くないようだ。何でも博士課程終了を目指しているとか。私はあまり共同生活は好まないが、今回の寮生活で得ることも多々あった。(このことは、機会があれば、また別途お話したい。)

 さて、第2の大きな試練に話を戻そう。

 今回の米国留学で初めて知ったことであるが、科目登録の際に、健康診断がなされているか、授業料や寮費の滞納が無いか等々が全てチェックされていて、これに引っ掛かると科目登録ができない仕組みとなっていた。

 日本にいる時にもこのことは大学から知らされており、特に寮に入る場合には、各種予防接種が義務付けられており、私も事前に全て完了させ、証明書を大学に送ってあった。そして、授業料、寮費も既に送金してあり、全て問題が無い筈であった。しかし、不運なことに何故かこのチェックに引っ掛かっていたのである。健康診断書のフラグが立っていた。つまり、送ったはずの健康診断書が大学に届いていなかったのである。

 大学のどこかには届いてあるはずであるが、部署をきちんと書いていなかった私が悪いのか、大学の手落ちなのかわからないが、いずれにしろこのフラグを消さないことには、科目登録ができない。しかし、幸いにも健 康診断書のコピーを持参しており、これを提示することでこのフラグは無 事消えた。日本であれば、きちんと医師の印鑑がおされた原本でしかダメ かも知れないが、そこは合理的なアメリカであり、書類さえあればOKであり、助かった。

 しかしながら、今回の科目登録に関しては、初めての経験であり、大学内の様々なオフィスを走りまわり、私にとっては必死であった。何しろ科目登録ができないと、せっかく会社の費用で留学したにも拘わらず授業がとれないのである。推して知るべしである。

 このように、まるでファミコンのロールプレイングゲームを地でいっているような試練の日々が続いたが、何とか無事にオリエンテーションも終わり、大学での授業がはじまった。

 当初の留学予定は1年間であり、大学の詳細、カリキュラム等々全く無 知であり、しかも英語が母国語でない国からの留学生で、英語の成績が良くない(良くないと言ってもTOEFLで550点弱くらいはあったのであるが、)学生は、英語の集中クラスの受講も義務つけられており、この段階ではその後修士号を取得して帰国することになるなど全く想像するに難かった。

 その後も大変な試練の連続であったが、結果的に1年余りで修士号取得に至り、私にとって得たものも多く、その後の私の人生に多大な影響を与えた素晴しい試練であった。

 次章以降で、修士号取得に至るまでの波乱万丈の物語を、順を追って話して行こう。

 

[第4章]

 無事、科目登録(registration)も終了し、何とか授業を受けられるようになったが、後の話を理解する上で必要となる知識として、ここで少し米国の大学のシステムについてふれておく。

 米国でも大学によっては様々であるが、私の留学した大学では、4セメスタ制(semester;学期)がとられており、一応新学期は9月の秋学期(Fall Semester)から始まることになっており、私もこの秋学期からの入学であった。

 因みに、秋学期(Fall Semester)-冬学期(Intersession)-春学期(Spring Semester)-夏学期(Summer Session)-秋学期、と繰り返され、秋学期と春学期以外はオプションであった。つまり、ゆっくり卒業したい人は特に授業を取らなくても良いのである。(もちろん、私は1年という留学期間を最大限に活かす為に全てのセメスタに取れる限りの授業を登録した。)

 今回の留学で初めて知ったことであるが、米国では大学の卒業期間は特に定められておらず、所定の条件を満足すれば2年でも、3年でも、OKなのである。また、学部生は英語でUndergraduate Student、大学院生はGraduate Studentと呼び、学部生、院生分け隔てなく、学部生でも条件さえ満足すれば院生の授業を取ることもできた。実際、もうすぐ学部を卒業できるという人が、私と同じ大学院の授業に出ていた。しかも、おどろいたのは、大学院の授業は夕方から始まるケースが多く、特にMBA(Master of Business Administration)のコースでは、昼働いている人が多数出席していた。(私の場合は、MS(Master of Science)コースであったが、数科目は他のコースも卒業単位として認められているので、私もMBAの科目を一部受講した。)

 米国の大学のシステムを語るとまだまだ話が尽きないが、スペースがいくらあっても足りないので、この辺で本来の私の留学体験に話を戻そう。

 これも初めて知ったこと(初めてのことばかり!)であるが、大学院生であっても生徒一人一人に担任のように教授がアドバイザーとしてついており、科目登録の際にもこの教授と何を登録するか相談し、更に登録に際してこの担任教授のサインが必要であった。したがって、先ず本格的に英語を話す必要が生じたのは、この教授とであった。

 教授からは、やはりTOEFLの点数のことを指摘され、外国人向けの英語集中コース(Intensive English Class)を受講しつつ、本来の専門科目の受講となった。そして、この英語集中コースを受講し、TOEFLのスコアがアップすれば、次のセメスタからは、専門科目のみで良いということであった。(私が日本人であり、分かりやすく話してくれたからか、何とか意思疎通がはかれ、第一関門の受講科目登録はクリアできた!)

 英語集中コースは、私にとってさほど難しいものではなく、発音は結構指導されたが、テストの成績も良く、グレードは全てAであった。コースの成績に反して、TOEFLのスコアはあまり伸びず、担任教授も不思議がっていたが、そこはアメリカであり、温情は通じず、結果のみが勝負の厳しい世界であった。(その後、TOEFL向けの特別コースも受講し、何度かTOEFLにトライした結果、何とか規定スコアをクリアできた。第2関門突破!)

 こんな訳で、英語の勉強をしつつ本来のコンピュータ・サイエンスの授業も受講するという日々が続いたが、このコンピュータ関連の授業がまた大変な試練であった。 何しろ、今度はいわゆるネイティブと同じ土俵で勝負をしなければならず、日本人であるなどという英語のハンディは通用しないのである。更に、通常のクラスではセメスタ毎に中間・期末の2回テストがある上に、クラスによっては、テーマに沿った調査を行ない、その結果をレポートに纏め上げ、これをクラスで発表するということも行なわなければならない。もちろん、全て英語である。

 クラスでは、教授の言っていることはある程度理解できても、なまり?のある生徒がぺらぺらとしゃべっている(とにかく、教授の話を途中でさえぎる輩が多い!)ことはほとんど理解できず、この先どうなるか、私は不安で一杯であった。

[注]  この『波乱万丈の留学体験記』の著作権は著者である私に属しますので、無断での複写、複製、利用等々一切ご遠慮下さい。  もし、掲載希望がありましたら、 多門院英蔵までご連絡願います。 宜しくお願いします。 


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2013年4月29日更新  
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